ロケ撮影の遠征で、地方の古びたビジネスホテルに宿泊したTさんの話。
深夜、激しい喉の渇きを覚えて目を覚まし、冷たい飲み物を求めて自販機へ行くため、Tさんは部屋のドアを開けて薄暗いカーペット敷きの廊下に出た。
フロアの壁際に並ぶ自販機へ向かって歩き出す直前、Tさんはエレベーターホール横に掲示されていた、避難経路図にふと目を落としていた。その図面によれば、この古いホテルの構造はコの字型になっており、フロアの端にあるのは自動販売機とアイスディスペンサーだけで、非常階段は反対側の端にしか存在しない。
そう頭に叩き込んだ上で、静まり返った廊下を歩き出す。
ふと前方に目をやると、少し先を歩く一人の人物の姿が目に入った。撮影機材用の大きなペリカンケースをガラガラと引きながら、自分たちと同じロケスタッフ用の作業着を着て歩いている。同じ現場の人間だと思い、Tさんは声をかけようと少し早足で歩幅を詰めた。
しかし、奇妙なことに、どれだけ足を速めても、その人物の背中との距離がピクリとも縮まらない。
一定の間隔を保ったまま、前を行く作業着の男は同じペースで遠くへ進んでいく。足音も聞こえない。ただ、ペリカンケースの車輪が擦れる重い音だけが、やけに鮮明に耳に残っていた。
嫌な違和感を覚えながらさらに数歩進んだ時、前を歩いていた人物がふと足を止めた。
そこにあったのは、先ほど避難経路図で確認したばかりの、本来なら絶対に存在しないはずの古い鉄の扉だった。壁のクロスが剥がれかけたその場所に、まるで最初からそうしてあったかのように、非常階段の入口がぽっかりと口を開けている。
男は迷うことなく重い鉄扉のレバーに手をかけた。すると扉は音もなくスライドするように開き、男は振り返ることもなく、そのまま暗闇の向こうへとすっと身を滑らせるように消えていった。
ガチャン、と重い鉄扉が閉まる音が、夜の廊下に乾いた音を立てて響く。
血の気が引くような冷えが全身を駆け巡り、Tさんは足を引きずるようにしてその扉の前まで歩み寄った。
震える手でドアノブに触れてみる。しかし、どれだけ力を込めても、扉のレバーはびくとも動かなかった。ガチガチと固くロックされており、開く気配すらない。先ほどの男がどうやってそこに入り、どこへ消えたのか、確かめる術は完全に断たれていた。
自販機へ行く目的などすっかり吹き飛び、Tさんは逃げるように自分の部屋へ引き返し、電気をつけたまま布団を頭からかぶって朝まで一歩も動けなかったという。



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